深い眠りから、急に醒まされて、シドニアはしばらく混乱していた。自分が、いつから、どこで眠っていたのか思い出せない。と、さして広くもない部屋の中から、衣擦れの音が聞こえて、その気配に起こされたのかと気付くと引きずるように他の事も思い出せた。
うすぼんやりした橙色の常夜灯のあかりの中で、深い水の色の上着に袖を通すアンジーの背中が見える。
「どこへ行くんだ」
敏捷に床から身を起こしながら尋ねた。
問いかけられた相手は、驚いたように振り返り、いつものように素早い笑顔を見せた。
「なんだ。まだ寝てろよ。夜明け前だぜ」
言われてみれば、戸の隙間から朝の明かりが差していない。
「まだ夜中なのか?」
自分にしては珍しく、時間の感覚を喪失している。鈍ってしまった刃物を扱うような掻痒感を覚える。
「ん…ま、半時もすりゃ明るくなってくると思うけどな」
帯を締め直し、その手で壁に無造作に掛けられた奇妙な形の道具に手を伸ばす。それを見て、シドニアは眉を寄せた。
「なぜそんなモノを持っていく?」
「ん?あァ、ちょっとな…」
腰あたりに留められた重い連結部が、じゃら、と音を立てる。鬼神槍と名付けられたそれは、商人を名乗るようになったアンジーが未だに手放さない武器だった。もっとも、ここ一年ばかりは、身に携えて持つことはなかった。
シドニアは、あり合わせの寝具を載せただけの固い寝台に座り直した。
「はっきり言え」
子供をあやすような笑顔を見せた相手が、ひどく腹立たしい。
「湖賊のやつらがな、カクを襲撃しに来るんだよ」
湖賊、という言葉を口にするときに、苦笑じみたものが混じった。かつて、自身名乗っていたその名は、彼らが新体制に認められた商人になるのとほぼ時を同じくして、旧体制の残党が略奪行為を働く時の呼び名として与えられていた。湖上の野盗と化した帝国軍人たちのなれの果て、すなわち湖賊、と。
彼らは、湖上生活者・船商人・湖岸の村々をたびたび襲い、再三討伐されてはいるものの、まだ一掃とまではほど遠い。やむを得ず自警団や軍隊まがいの団体を組織するところもあり、その衝突も珍しくはなかった。
「カクの村の漁師たちは武装している。お前が行く必要は無い」
「そりゃそうかも知れねえが…やっぱ、古なじみもいるしな。放っておけねえよ」
アンジーがそう答えるということは予想していた。
「それなら、俺も行く」
腰を浮かそうとしたシドニアを、アンジーは強い調子で止めた。
「お前はまだ寝てろって。」
「そうはいかない」
「大丈夫だから、俺は。お前は、船の上じゃあ不慣れだろ?心配なんだよ。な?」
「俺を連れて行くのは、迷惑なのか?」
「…はあ?」
アンジーは何かに助けを求めるように振り向いたが、何もなかったので、またシドニアに向き直った。
「なに?」
「とぼけるな」
きつく言われて、一瞬、視線を泳がせたが、まっすぐにシドニアと目を合わせた。
「なあ。さっき、約束したよな、俺。何があってもお前のところに戻ってくるって」
警戒の色を浮かべたシドニアの褐色の瞳に、懸命に言いかける。小さな灯りをかろうじて反射しているだけの瞳は、いつもに増して深く暗く見えた。
「信じられねえ?」
数十数えるまで待っても答えないシドニアに、アンジーは苦笑した。
「し…」
信じるとか信じないとかではなく、単純に一人で置いて行かれるという事実が嫌だったのだが、それを口に出そうとした丁度その時、戸を軽く叩く音がした。
さっと身体を起こし、「今行く」と戸に向かって言うアンジーを見上げる目に、刹那縋るような感情が混じった。
アンジーが向き直った時には、いつもの無表情に戻っていたが。







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