優しい雨
ヤム・クーはずぶ濡れになって、それでも酷く嬉しそうに微笑んだ。
「…良かった」
そう云って。
雨は随分と小雨にはなっていたが、それでもヤム・クーの体温を奪うには十分だったろう、華奢とまでは行かないが、それでも随分としなやかな躰が微かに寒さで震えているのが見て取れた。
アンジーが慌てて駆け寄ると、ヤム・クーが倒れ込む様にアンジーの首筋の辺りに冷たいその頬を寄せた。
「ヤム・クー…」
云いかける。が、その言葉はヤム・クーの柔らかい唇に包まれて。
「ん………」
初めて重ねるヤム・クーの唇は酷く冷たく、けれど口腔をまさぐる舌は酷く熱かった。
「っ………」
口付けに応え乍ら、アンジーはそっとヤム・クーの背に腕を回す。
自分の為に冷えきった躰を、少しでも温めてやろうとするかの様に。
その日初めて、アンジーはヤム・クーを抱いた。
微かに肩に刻まれた傷が痛んだが、そんなことはさほど気にならなかった。
覚えているのは只雨の音。
酷く静かに、それでも確かに。
まるで世界を優しく浄化しようとするかの様に。
もう、随分と昔の話………。
微かな寝台の軋みが部屋に響く。
甘くて熱い吐息が、しっとりと汗ばんだ肌が、二人の総てだった。
「…ん…あ、ぁっ…」
アンジーが、ツンと勃ったヤム・クーの胸の突起をくいと摘む。
爪の先を先端から食い込ませ、又指で摘んで弄ってやると、ヤム・クーは気持ち良さそうに躰を捩らせて喘いだ。
薄紅色に染まったそこへの刺激を続け乍ら、アンジーはヤム・クーのほっそりとした首筋や、浮き出した鎖骨に唇を寄せる。
チュッと音を立てて吸うと白磁の様な肌に赤い跡が印されて、アンジーは嬉しそうに微笑んだ。
「シルシ、いっぱい付けてやるよ」
云って、又一つ、首筋に。
ヤム・クーは厭、と呟いて、それから逃れようとする。
「駄目だ……ちゃんと付けてろ」
今度は鎖骨の直ぐ下に。
自身と交わった証を付けていく。
「っ……い、じわる……」
泣き出しそうなその声が、一層アンジーを煽った。
「意地悪されるの、好きなんだろ?」
耳元で囁いてやると、恥ずかしそうに頬を染めて小さくかぶりを振る。
快感に酔った瞳が、溜まった涙で妖しく光った。
言葉とは裏腹な誘う様な眼。
「嘘付け…もっと意地悪してって云ってるぜ…こっちは」
ギュッと、突起に爪を立てる。
ヤム・クーはヒッと細い声を上げて喉を反らせた。
「ほら、ちゃんと正直に云ってみな?」
優しく云う。
ヤム・クーはトロンとした瞳で上目遣いにアンジーを見、口籠った。
その間にも突起を指で弾いたり、鎖骨に舌を這わせたりと、アンジーはヤム・クーを悦ばせてやる。
「早く」
云って、一際きつく突起を摘む。
ヤム・クーはビクッと反応し、切なそうな眼でアンジーを仰いだ。
けれどやがて、その微かに唾液で湿った唇を開き、何かを云おうとする。
「……っ……に……」
「…ん?」
そっと、ヤム・クーの唇に耳を寄せる。
「……ぁっ……アンジー……さん……にっ……」
ヤム・クーはアンジーに胸を弄られ乍ら、熱い吐息と一緒に小さな声で言葉を紡いだ。
「アンジー……さん……ッ……に、……いじわる……、され……っ……の、は……スキ……」
キュッと柳眉を寄せて、潤んだ眼を恥ずかしそうに伏せる。
云った事を後悔する様な仕種に、アンジーは眼を細めた。
「あんっ……ぁ……」
ビクッ、とヤム・クーの躰が震える。
アンジーの手が胸から、熱く潤んだ中心へと伸びてきていた。
下着の上からでも、そこが大きく張り詰めているのが判る。
先端から溢れ出た蜜が下着を濡らし、ヤム・クーの快感の程を知らせていた。
「ちゃんと云えたから、御褒美」
くす、と笑い、アンジーは指でその輪郭を確かめる様に、下着の上からヤム・クーのものをなぞった。
「ひぁ………あぁぁ………」
溜め息の様な喘ぎが、ヤム・クーの口から零れてくる。
先端を軽く引っ掻いてやると、ヤム・クーは一層激しく喘いでアンジーに先をねだった。
アンジーの締まった背中に、ヤム・クーの爪が走る。
「もっと?」
アンジーが尋ねると、ヤム・クーは子犬が鳴く様な声を上げて答えた。
言葉では無くその細い腰が、快感を追う様に揺らいで急かす。
けれどアンジーは矢張りゆっくりと、下着の上からのもどかしい愛撫を繰り返した。
「や………ぁっ………」
肌が粟立つ。
ジワジワと追い詰められては突き放される。
そのかけひきめいたアンジーの指の動きを非難する様でもあり、又楽しんでいる様でもある声がヤム・クーの唇を滑った。
「ア、ンジー……さ……」
熱を含んだ、掠れた声で名前を呼ぶ。
「何だ?」
ヤム・クーは少し躊躇い、それでもアンジーの眼を見つめ乍ら口を開いた。
「……んっ……ぁ……、ッ……ね、がい……キス……っ……して……?」
中心に愛撫を感じ乍ら、潤んだ瞳でキスをねだる。
アンジーは愛しそうに眼を細めた。
「キスしたいのか?」
訪ねると、ウン、と頷く。
ふっと微笑んで、アンジーは優しく唇を重ねてやった。
その柔らかくて温かい唇を啄む様に軽く、何度も。
そしてゆっくり、深く。
「ん………ふぅ………んっ、んんっ………」
ヤム・クーの舌が、アンジーのそれよりも貪欲な動きを見せて絡み付いてくる。
アンジーはそれに応え乍ら、ヤム・クーのものを一層きつく、押さえ付ける様にし乍ら刺激した。
「んッ………んぁ………」
唇を離すと、ヤム・クーが名残惜しそうにアンジーの首に両腕を絡めてくる。
アンジーは微笑み、紅潮したヤム・クーの頬に、髪が乱れて露になった目蓋に、そっとキスを落とした。
カリ、と音がする程耳朶を噛む。
ヤム・クーは呻いて、躰を震わせた。
「……ぁっ……も……っ……だ、め……ッ」
限界を訴え乍ら、ヤム・クーはアンジーの指から逃れようとする。
アンジーはそれでも、ヤム・クーを離そうとしない。
「おねが………っ………ホントに、もう………出る………ぅ………っ」
必死で耐える辛さに、ヤム・クーの瞳は涙を零した。
アンジーの背に回された腕に力がこもる。
桜色に色付いた肌はしっとりと汗ばみ、両腕に僅かに引っ掛かっている浅葱色の着物が眼に映えた。
止めてと懇願する言葉とは裏腹に、ヤム・クーの腰はその瞬間だけを求めて淫猥に動いている。
アンジーはそれに答えるかの様にするりとヤム・クーの下着を解くと、既に溢れ出て来た蜜でしとどに濡れたヤム・クーのものを直に掌に包み込んでやった。
「あッ……あぁんっ……だめ……だめぇッ……」
ヤム・クーが必死で躰を捩る。
何度も首を左右に振り、ひくつく足をシーツの海に泳がせる。
囈言の様に駄目、と繰り返し、それでもアンジーの背に回した腕には一層の力を込めた。
アンジーの躰についたヤム・クーの脚がガクガクと震えているのが判る。
「こんなに濡らして、恥ずかしくねえのか?」
アンジーは先端から溢れる蜜を掬っては、ヤム・クーのものにそれを塗り込める様にして胴をきつく扱いた。
「やぁッ………は……ずか……しい……あッ……あぁっ……」
ヤム・クーは処女の様に頬を染めて、いやいやをする様に首を振った。
「恥ずかしいのに感じてるのか?……やらしい奴だな、お前は」
「いや………いやぁ………ッ………あぁ………」
アンジーの言葉に、ヤム・クーが反応する。
その声は酷く嬉しそうに響いて、アンジーを悦ばせた。
「ホラ、いいぜ…イッちまえよ…イク時の一番恥ずかしい顔、俺に見せてみな…?」
上擦った声で云い乍ら、アンジーはヤム・クーのものを擦る手を激しくする。
微かに響く雨音に混じって、それとは比較にならない程いやらしい、湿った音が響いた。
「あふ……あ……ッ……あぁっ……い……っ……、い……?イッて……も、いい……?」
ヤム・クーがアンジーの肩口に頬を擦り付ける様にし乍ら、甘えた声で聞く。
アンジーは微笑み、答える代わりにヤム・クーの一番感じる部分をきつく擦り上げた。
「ああッ……ん……はぁ……ッ、あッ、イク……っあ、あッ……あぁぁっ!」
ビクビクッ、と、ヤム・クーの躰が激しく痙攣する。
同時に、ヤム・クーの先端から白濁した奔流が溢れ出た。
「ひぁっ……あっ……はぁん……」
ビュッ、ビュッ……と、間欠的な放出を迎える度にヤム・クーがとろけそうな程甘い声で喘ぐ。
力無くベッドに沈んだ躰が大きくゆっくりと上下した。
唇は快感にわななき、瞳は余韻に浸るかの様に潤んでいる。
ヤム・クーが総ての放出を終えたのを確認してから、アンジーはヤム・クーのものを握っていた右手をそっと離した。
ドロリとした白い糸が筋を作る。
「…ベットベトだぜ、ほら、お前ので」
ヤム・クーの眼前で、アンジーは掌を広げてみせる。
「やっ……ぁ……」
ヤム・クーはその掌に残った淫猥な欲情の証を見せつけられ、カッと頬を染めて首を振った。
アンジーの掌はぬるぬるとした液体で光り、指先や掌の所々に白い泡立った蜜が絡み付いている。
「…ココも」
その手で、アンジーがヤム・クーの腹をなぞる。
その締まった躰の上には、ヤム・クーが放出した精液が点在していた。
「あ………ぁ、ん………っ」
人さし指でゆっくりと、腹から胸へ精液を塗り広げていく。
そしてぬるりとした指で、快感に上気した胸の突起を。
「はぁ……っ……」
達したばかりで敏感になっているそこを、精液の付いた指で捏ねる。
「やッ………やぁっ………」
ヤム・クーが躰を捩る。
ぬるぬると滑る突起が、ヤム・クーの本能を更にくすぐった。
「勃ってるぜ」
グッと突起を弄る。
「一回イッただけじゃ満足出来ねぇんだろ?」
「あぁ………っ………ん………」
桜色の突起を刺激し乍ら、そろりと秘所に手を伸ばす。
割れ目を探り、その奥の蕾に触れると、ヤム・クーがねだる様に腰を揺らした。
蜜が滴り落ちて濡れたそこはひくひくと蠢き、アンジーが指で突つくとキュッと締まる。
「欲しがってるぜ、ここ」
ヤム・クーの躰に覆い被さる様にして、耳に唇を付けて囁いてやると、ヤム・クーはアンジーの躰の下で微かに呻いた。
アンジーの引き締まった腹に、ヤム・クーの、放出を終えて汚れたものが擦れる。
それは既に熱さを取り戻しかけており、その摩擦で更なる硬さを持ち始めていた。
アンジーが少し躰を揺らすだけで、ヤム・クーは熱い吐息を洩らして喘ぐ。
「気持ちイイのか?そんなエッチくせぇ声だして…ほら、前と後ろ、どっちがイイんだ?」
云い乍ら、くぷっと蕾に指を埋め込む。
「あッ………ん………ん、んぁ………」
ゆっくりと、次第に早く、淫らに、ヤム・クーの柔らかい内壁を擦る。
その刺激に一瞬ヤム・クーは逃げかけたが、それでも徐々にアンジーの指を妖しく締め付ける様になってきた。
ヤム・クーの反応を確かめ乍ら、アンジーは時折ヤム・クーのものを擦りあげる様に躰を揺らしてやる。
「ん?教えてくれねえと判らねえよ…どっちの方がスキなんだ?」
クッと指を折り曲げて、爪の先で柔らかい壁を引っ掻く。
内からの刺激に、ヤム・クーは快感に潤んだ瞳をアンジーに向けた。
「どッ……ちも……っ……ぁッ……イ……」
ヤム・クーの言葉に、アンジーがくすりと笑った。
「どっちもイイのか?」
尋ねると、恥ずかしそうに頷く。
「…じゃ、どっちも気持ち良くしてやるよ」
云うと、アンジーは突き入れていた指を引き抜いた。
ヤム・クーが反応する間もなく、アンジーはヤム・クーの両脚を大きく開かせる。
「あッ……や……」
隠れていた蕾までも曝け出さなくてはならない姿勢に、ヤム・クーがたじろぐ。
アンジーは微笑し、ゆっくりと己の先端をヤム・クーの蕾に押し当てた。
「あ………っ………ぁ………」
ツプ…と、蕾を押し開かれる感触にヤム・クーが震える。
徐々に、それでも確かに確実に、アンジーのものが内壁を抉って侵入してくる。
熱い塊で快感の束の壁を抉られるその感覚に、ヤム・クーはたまらず悲鳴に似た声をあげた。
「あ………あァッ………ん、く………ぅっ………」
アンジーのものを飲み込んだそこが、生き物の様に絡み付く。
自然その入り口を締め付け乍ら、ヤム・クーはアンジーの首に縋り付いた。
アンジーが上体を深く倒してヤム・クーの中を突き上げている為、アンジーの腹の辺りに又ヤム・クーのものが擦れている。
既に硬さを取り戻し大きく反ったそこは、アンジーの腹にぬるりとした蜜を塗り広げるかの様に前後した。
「やぁ………こすれ………て………あぁ………」
ヤム・クーの腰がアンジーに合わせて揺れる。
その度グチュグチュと、激しく濡れた音が響いた。
「気持ちいいのか?」
尋ねると、何度も頷く。
その弾みで、瞳に溜まった涙がボロボロと零れた。
躰の感覚がそこに総て集中してしまっているのかと思う程に、ヤム・クーはアンジーのものを感じていた。
擦れ合う内壁から、アンジーのものの括れや、胴に浮いた血管までもが手に取る様に判る気がする。
最奥の最も良い所を激しく突き上げられて、その度そこから体中に快感が波状した。
「あう……あ……っ……はあ……ん……くっ……」
髪の毛の一本一本にまで神経が宿っているのかと思う程、その躰の隅々にまで刺激が伝わってくる。
ビリビリとしたそれに、堪らずヤム・クーがアンジーに縋り付いた。
アンジーのものが酷く熱く、長く感じられる。
内臓を掻き回される様な錯覚をさえ呼び起こすそれは、ヤム・クーが気持ち良くなる箇所を目敏く見つけてはそこを抉る様に突き上げてきた。
「…ヤム・クー」
自身の躰にしがみつき、ひとかけらでも逃さぬ様にと全身で快感を享受しているヤム・クーに囁く。
ヤム・クーはその声に、濡れた瞳を微かに開いてアンジーを見た。
「…………」
その顔に、思わず愛しさが込み上げる。
「ん……んん……ッ……」
堪らず、アンジーは噛み付く様な口付けをヤム・クーに落とした。
だらしなく開いたままになっていたヤム・クーの唇は難無くそれを受け入れ、上と下とで水の濡れる音が響き始める。
「ふぁ……っ……ん……んぅ……」
少し唇を離して、もう一度。
何度も深い、貪欲な口付けを繰り返し乍ら、二人は次第に高みへと登り詰めていった。
「ア……ン、ジー……さ……ッ……」
何度目かに唇を離した時、ヤム・クーが名を呼んだ。
背に回った腕が、既に余り躰に力が入らなくなっているのだろう、弱々しくアンジーの躰を引き寄せる様に動いた。
限界が近いと、その露になったアイスブルーの瞳が訴える。
「…ヤム・クー」
アンジーは答える様に名を呼び返し、再び深く唇を重ねた。
「んッ………ん………んんっ………」
舌が触れ、絡み合い、きつく吸われる。
その行為も、内に楔を突き入れられるのと同じ位の快感をヤム・クーに与えた。
それと同時に、内壁にも今迄以上の刺激が加えられる。
唇を解放されてもそれは変わらず、快感と云う、只それだけに支配されていた。
「んんっ……ふぁ……っ……あっ、ああッ……」
永遠とも思えたその行為も、けれど終わりを見せ始める。
ヤム・クーの一際高い喘ぎを合図に、アンジーのものを銜えたそこがヒクヒクと痙攣する様に蠢いた。
同時に、アンジーの腹に当たっているヤム・クーのものも震えを見せる。
「あぁ………っ………は、ぁんっ………あっ、あァッ………」
ビクッと、ヤム・クーの躰が弓なりに反った。
「あーッ………!あっ………ぁ………ッ」
その先端から激しく、精液が吹き出した。
自身の二度目の奔流を躰に浴び乍ら、ヤム・クーはその瞬間の悦びを全うする。
やがて、達した余韻に激しく収縮するヤム・クーの内に押し上げられる様に、アンジーも。
「くッ………」
小さく呻いて勢い良く自身のそれをヤム・クーの内から抜き出し、腰を進めて、ヤム・クーの躰の上に熱い蜜を吐き出した。
「あぁ………あ………っ………」
既に二度の自身の放出でドロドロに汚れたヤム・クーの胸に、腹に、更なる迸りが浴びせられる。
微かな喘ぎを繰り返し乍ら、ヤム・クーはゆっくりと上下する自身の胸に零れ落ちたアンジーの精液をそっと指で掬い、口に含んだ。
苦く青臭いそれは、けれどヤム・クーには酷く甘く感じられた。
「……………」
ゆっくりと、アンジーがヤム・クーの躰を抱き締める。
ヤム・クーは、アンジーの左肩に深く刻まれている古い刀傷にその火照った頬を寄せ、互いの息遣いが混ざり合うのを聞いていた。
「………雨、止みませんね」
アンジーの腕の中で、ぽつりとヤム・クーが云った。
「…そうだな」
アンジーが、ヤム・クーの髪を優しく梳き乍ら答える。
ヤム・クーはふいと視線を移すと、直ぐ目の前に深々と横たわるアンジーの肩の古傷をそっと指でなぞった。
「………ヤム・クー」
声に、ヤム・クーが顔を上げる。
唇が、触れ合った。
何度も何度も、羽が触れる様な口付けを繰り返す。
「………気持ち良い」
小さく、ヤム・クーが笑った。
アンジーも、笑う。
耳に雨音の調べが心地よかった。
未だアンジーが湖賊を始めて間も無い頃、カクから少し離れた村の破落戸達とちょっとした抗争になった事があった。
今ならば適当にあしらうことも出来たろうが、その頃は未だ、只真直ぐに立ち向かう事しか知らず。
大した相手では無かった。
けれどほんの一瞬の隙をついて、相手の刃はアンジーの左肩と右の脇腹を抉っていた。
それから後のことは、アンジーは良く覚えていない。只無心に武器をふるい、破落戸達を叩きのめしたことは覚えているが、それきり意識はふっつりと途切れていた。
気がつくと、アンジーはその村の宿屋のベッドの上だった。
起き上がろうとすると、上半身に激痛が走る。
思ったよりも刃は深く肉に食い込んでおり、アンジーの体力を酷く奪っていた。
その宿で暫く静養を続けることになったアンジーの元にヤム・クーがとんできたのは、次第にその傷も癒えかけてきた、初夏の雨が静かに降りしきる夜の事。
良かった、と。
宿屋の部屋の扉を開けたヤム・クーは、嬉しそうに微笑してそう云った。
手には思い出した様にカナック達が出した、アンジーの負傷を知らせる手紙が握られている。
滴る雨水と一緒に、涙が流れた様に見えた。
思えばあの頃から、ずっと愛しくて。
心臓が壊れるのではないかと思う位に、只一人が愛しくて。
覚えているのは只雨の音。
酷く静かに、それでも確かに。
まるで世界を優しく浄化しようとするかの様に。
もう、随分と昔の話………。
「…ヤム・クー」
声をかける。
が、返事は無かった。
腕の中を覗き込むと、ヤム・クーは小さくその肩を上下させて静かな寝息を立てている。
アンジーは微笑して、その額にそっと口付けた。
ゆっくりとアンジーも目を閉じる。
聞こえているのは只雨の音。
酷く静かに、それでも確かに。
まるで世界を優しく浄化しようとするかの様に。
まるで、
腕に眠るヤム・クーの様に。
酷く寂しく、酷く切なく、それでも確かに温かい音。
アンジーは微かに、ヤム・クーを抱く腕に力を込めた。
長雨もそう悪くはないと、
微かにアンジーはそう思った。
2000.5.14.小峰和也
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